クオーターライフ・クライシス

2020年8月1日

慌ただしく過ごしているうちに元号が変わりました。

みなさん、GWいかがお過ごしでしょうか。

 

私は連休前半で旅行に行って帰国したところです。

 

旅行についてもこれから書きたいのですが、帰国する飛行機の中、寝ることもできず暇があったので考え事をしていたので、旅行について書く前にこれを書いておきたいと思います。

 

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クオーターライフ・クライシス

クオーターライフ・クライシスという概念があるらしいです。詳しく調べたわけではありませんが、人生4分の1以上が過ぎた20代後半から30代の頃に人生について思い悩むときのことを言うそうです。

ネットで検索したらこの言葉を見かけたのですが、心理学用語「ミッドライフ・クライシス」(中年期特有の心理的な危機)から派生した単語ではないかと思いました。

なんとなく今の自分はこういう状態なんだろうなと、もんもんと考えてました。

いざ30代に突入すれば何かふっきれるというか、アラサー特有の不安が少し薄れるかと思ったのですが(下の記事参照)、最近身体的な衰えを割と顕著に感じてしまい、結構複雑な思いがあります。

別にここ何日かで始まったというわけではなくて次第にだとは思うのですが、しわが結構目立ってきたり、頬が心なしか痩せてきたような気がしたり、なんだか20代後半のときとはまた違うリアルな不安があったり。

まだ感覚的には27くらいで止まっているのか、いきなり自分が老けたかもっていう実感をもったような感じ。

そのくせ精神的にはあまり20代前半のときから変わっていないような気もして、それに対する焦りもあると思います。もしかして私はこのまま何歳になっても中身が子供のままなのか?みたいな。

年齢の割に私は何もできていなかった、これまで何をしてたんだろう、という焦りみたいなのも含まれる。

みんな平等に時間は過ぎているし、私も他の人と同じように若い時代の時間を過ごしたわけだし、誰しもそうなるので寂しいと思う必要はないんですが。でも、それが寂しいと思うときがあります。

自分の若い時間は終わってしまったんだなっていう。万事が変わっていくことの無常を感じるというか。

節目節目同じようなことを考える

ただ、実は同じことを高校卒業するときにも考えていたなということも思い出しました。気づいたらもうこんな年齢になってしまったのかっていう焦りを感じたり、色々とセンチメンタルになってた時期でした。

高校生活が終わってしまって悲しくて寂しかったし、もう若くないんだっていう気持ちが強かった。

その時も周りの大人にそういうことを言ったら、ちょっと(そういう事を考えるタイミングが)早すぎると言われましたが、今とほぼほぼ同じような気持ちで、大学が始まるまでの2ヶ月間ほどそういうブルーな気分の期間が続いたことをすごくよく覚えています。

人間は常に変わり続けるし、万人が死に向かって歩いているんだから、「若いか若くないか」ということはあまり関係ないのでは?と、心のどこかでわかっているんですよね。

年を取ると、ただ「若いときよりもそういうことを思い出してしまう機会が増えるというだけ」のことである気がします。

不安は身体の不調からなのか

年明けから何度か体調不良に関することも書きましたが、よくなったり、そうかと思えばまた少し体が火照ったりする症状が出てきたりとか、色々あります。

そういう意味でも今、変わり続ける自分に不安を感じてしまったのかもしれません。

これまでのことを長いスパンで振り返れば、アラサーじゃなくても体調不良だった時期もあったし、就職する前にひどい風邪をこじらせて咳喘息になったり、20歳で海外から帰ってきた途端に熱を出したり現地でもお腹を壊して死にそうになってたりもした。

24歳、25歳のときも2年連続でインフルエンザになってしまったり。

生理痛がいきなりひどくなってきたのも就職してから。それまではそんなことは全然なかったのに、いきなり出てきた。定期的に婦人科にも通っているけど異常はないらしい。

今ではなんともないけど、25歳くらいの時に何故か妙にトイレが近くなってしまった時期があって心配したし、28歳の時は謎の肋骨の痛みが半年くらい断続的に続いていた(たぶん肋間神経痛)。

そう思えば、別に30代になって老けたからということが必ずしも体の不調の原因とは言い切れないし、基本的に免疫が足りなかったり日頃鍛えていないことも原因かもしれません。

無駄遣いを楽しむ

これからも何があるか分からないのですが、全員同じように老いるし変わっていくのだから、やはり今出来ることを楽しんでいくしかないのかなという結論に至りました。

自分の見た目や年齢が変わること、本当の意味で受け入れるのは難しいと思います。

高校の時の担任の先生が僧侶だったので聞いてみましたが、こういう職業だからって悟りを開いているわけではないし、邪念ばかりだし、諦めきれないことばかりだし、執着もする。人間なんだからそれは仕方がないと言ってました。

変化を悲しく思っても事実は変わらないのだから、毎日の瞬間を一生懸命やれば悔いはなくなるかなと結論付けました。

そうしたほうがいいし、逆に言えば結局は「それしかできない」のかなと。

そう思って何気なく見ていたアメトーークのイチロー芸人の回で、イチローがインタビューで答えた「無駄なことなんてない。遠回りすることが一番の近道だ」の名言がクローズアップされていた。

もうこんな年齢なのに何もできてないっていう焦りがあるってさっきも上に貼り付けた記事でも書いたけど、もし全部効率よくやりたいことをして、人生の時間を完全に無駄なく使うことができたとしても、それがいいとは限らないのかなと思って。

確かにこんな年齢なのにできていないこともたくさんあるし、今まで色々とムダや遠回りなことをしたと思う。電車で隣に座っているアラサーに比べて、できていないことも経験していないことも多いかもしれない。

色々やってみたりしたものの、自分には特別趣味といった趣味が見つけられなく、それも周りと比べて自分は面白みもなくつまらない人間だと感じたり、せっかくの人生を無駄遣いしているような感覚もありました。

けど、だからといって「何もできなかった」と後悔するようなことじゃない気がしました。

色々やってみたり無駄なことをあれこれ考えたりしたことも自分にとっての必要だったのではないかと。

私は自分なりに色々なことをやってきたし、それで良かったと思う。

これからもやりたいことはやっていきたいけど、今の自分が間違っているわけではないし、このスタンスでいい。

何も時間に追われて焦ったり、変に時間の意識をしすぎることもないのかなと思いました。

完全にモヤモヤがなくなったわけではないですが、引き続き、ぼちぼちやっていこうと思います。

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雑記

Posted by やよい