便りがないのは?
更新が久しぶりになったものの、一応生きてます。
便りがないのは良い便りとよく言いますが、今日は3.11の日、そうはいっても明日何が起こるかわからないんだから、ということを思い起こさせられる日だからかもしれません。
便りがないのは元気な証拠とは限らないですよね。
1か月ブログを更新していなかった間の私の場合、どちらでもないような感じがします。
更新しなかったからといって事件が何もなかったわけでもなく、調子がよかったわけでもなかったし、悲しいことばかりでもなかったし、かといって「今色々うまくいってる」って感じもなく。
同じように、だれかから連絡がこないと、もしかしたら何かあったのかな、と頭をよぎることがあります。同時に、そんなことは99%ないだろうといつも思うのですが。
でも、過去にそういう突然のことがあったからこそ、怖いなと思う時が今でもある。今回もその時なのではないか、と「もしかして」とよぎる瞬間が。
生きてるってすごい不思議だなと時々思うことがある。
仏教の教えじゃないけど、生かされてる、に近いのかもしれない。
そう思うと、自分の気持ちは素直に伝えて、自分のやりたいことはちゃんとその都度やっていったほうがいい。ほんと、そう思う。
そう思う。
けど、実際に「いつ何が起こるかわからないんだから勇気だしてやってみよう」と思っていざやってみると過剰だったり、よくない結果になって恥ずかしくなったり、逆効果だったり、してしまうことがある。(私はそうだった)
だから、「何にしても後悔のないようにやらなきゃダメ」とかよく言うけど、そういう風に思って行動したときはたいてい失敗したことが多いよ。と私は思っていたんです。
でも今思えば、多分その行動をしたことが悪かったんではなくて、その行動による結果はそうだったと決まっていたんだろうから、一概に行動することは悪いことだったとは言えないかなと。
黙っていてもその答えがいつかわかる日が来たかもしれないから、早いうちに学びがあったほうがよかったのかもしれません。
生きてると、うまくいかないことがたくさんあって、つらいこともたくさんある。
私はペシミスティックな側面も割とある人間なので余計につらさや切なさを強く感じるほうかもしれませんけど、だれでも苦しいことって多いと思うんです。
円滑にとんとん拍子にうまくいっていることもあれば、なんでこんなにもうまくいかないんだろう?と思うこともあります。
約束しても突然なくなることもある。
「もしかしたらそういうことするかもな」と思うような相手っているじゃないですか。
一応そうする約束したけど、「まあ、この人は、土壇場でキャンセルしてくるかもなあ」って思ってしまうような、危うい感じの相手って。男性でも女性でも。
でも、そうじゃなくて「多分約束は守ってくれるだろうな、守れなくなった場合は礼を尽くしてくれるだろうな」と思った人でも、「この人はそういう人じゃないから」と思っていても、実際に、他人から見て本当にそういうことはしなさそうな人であっても、突然何も告げずにいなくなることもあったんです。
だから「大丈夫だから待ってみよう」みたいに思うことが私は本当に苦手でした。
相手を完全に信じることなんてとても出来なかった。
だけど、それも結局、どこかで相手に依存していたからかもしれないと最近思う。
「この人も、私の前からいなくなるんじゃないか」と不安になるのは。
そのひとがいなくなったら、どうしよう。と思うほど大切な人がいるのは、とてもいいこと。それくらい、大切だと思っているということ。「誰のことも大切じゃない」と思って生きるよりも健全であり、素敵なことだと思う。
でも、人はみんないつかいなくなる。
つらいけど、嫌だけど、その人がいなくても、自分で保っていかなくちゃいけない。
大切な人がいたんだったら、その人がもういないんだったら、「その大切な誰かと心がつながったことがある」と思った経験を胸に、進んでいかなきゃいけないかなと思う。
また繋がることもあるかもしれないし、つながらないかもしれないけど、
一概に自分が悪いわけじゃない。相手も悪いかもしれない。
そういうふうになる運命だったかもしれない。
だから、どんな風であっても、やっぱり進んでいきたいと思う。
あまり自分を「ダメだった」と痛みつけすぎずに。
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