SNSは掃き溜め。ネットで他人を叩く人間が増産された現代の闇について。
嫌な世の中になった。
どんな世界線でも一定の人がそう思うだろうけど、ここ数年のSNSに人間の闇を感じまくっていて、ずっとダークな気持ちになっている。
私が普段見ているSNSはX(もうTwitterじゃないんだよね)とYoutubeくらい。
Xに関しては、昔からこんなにだっけ?と思うくらいここ数年は、顔も名前も知らない誰かに対する誹謗中傷が酷い。
バズっているポストにぶら下がっているリプライなんて、見るに堪えない。
Youtubeも、何か火種があるとコメント欄が地獄になっていることはたまに見る。
そして、別に特に燃えなさそうな話題でも、一番下までコメントをスクロールしたら、必ず1名か2名アンチ…と言ってはいけないんだっけ。「否定的」なコメントがついていることも多々ある。
「バズる」と「叩かれる」はもうほとんどイコールの関係になっている。
専業主婦VSワーママとか、定期的に燃えないと気が済まないのかと思うくらい、定期的に誰かのポストがバズっては、そのたびに不毛な戦いをずっと繰り広げている。
SNSでは自分の考えと違う人に出くわしたら、論破しないといけないルールでもあるのか?
普段の日常生活でも「そうしたい」と思いながらできない人が、できないことの鬱憤を延々と晴らしているような気しかしない。
多分、何かにイラッときてるんだろう。
「専業主婦は別に遊んでるわけではない、家のことも子育てもこれこれこうやっている」というポストがあったとしたら「いや、私はフルタイムで働きながら全く同じことしてますけど」とリプがつく。
イラっとくるんだろうね。
自分よりも楽してたり頑張ってない(ように見える)人を見たら、面白くないんだろう。
自分の中の「何か」がザワつくんだろう。
ただ単に自分が「面白くない」から、何かひとこと言ってやりたくなる。イライラしてるから。余裕がないから。
そうじゃないですか?と強い言葉を吐いている人たちに言いたい。
こないだ、月2万以内で食費をやりくりしているという、ご飯の画像付きのポストがバズっていたのを見た。
その料理の画像は映えていて、一言でいうと質素な感じはせず、素敵なものだった。
それに対するやっかみか、半分ほどのリプライは「本当に○万なんですか?どこのスーパーに行ったらそんな安い食材が手に入るんですか?嘘なら嘘だと言って欲しい」などのリプライがぶら下がっていた。
安いスーパーの冷凍野菜も使っていると投稿者が返信すると、それに対して「冷凍野菜の悪影響」みたいなことをいちいち小姑みたいに指摘している人間もいた。
それも、ほんの一部ではない。「ツッコミどころ」がありそうなものは常にすぐに標的になる。
自分以外の誰かが同じような意見を書いているのに、別の人間がよってたかってリンチする。
なぜこんな世界になった?
YouTubeもそうだけど「バズっているもの叩き」の悪質性は、とにかく圧倒的に地獄になり、コメ欄を閉じないといけないことに追い込まれるほど、コメント欄が地獄になること。
百歩譲って、最初の一人は「単純に指摘したい」と思って書き込んだとしても、なぜさらに同じような意見を一方的に送りつける人がいるのか。なぜわざわざ投稿者を不快な気分にさせる必要があるのか。
数の暴力は恐ろしいと思っていて、例え何か自分の発言にツッコミどころや落ち度があったとして、それを一人に指摘されるのと、100人に指摘されるのとは大違いだと思う。
でもそうしたくなるのは、他人の間違いが大好きだから。
他の(特に、注目されている)人が間違っていることに気がつき「それに指摘してる自分」という構図が気持ちよくて正義マンをやっている人が多いこと。
さっきの食費○万に抑えていますのポストでも、明らかに垣間見えていたのは僻み。
「こんなのできるわけない」と言いたくなってしまう気持ちはわからんでもない。
もし、自分も日々節約していて懸命に食費を抑えている人なら、うちはどんなに頑張っても○万で、こんな豪華なご飯作れるわけないのに。なんで?と踏みにじられる気持ちはわかる。
でも、その気持ちを投稿者にぶつけるのは違うでしょ。
自分はもらい事故だ、自分は見たくないのにこんな不快な投稿を見せられて気分が悪い。そう思ったのかもしれない。
だけど人間が弱いのは、身近な人には同じことをしないってこと。
もっというとSNSでもバズってない、1つや2つしかいいねがついていない投稿に同じことが書いてあったら、同じようにいきなり叩く人はほとんどいない。
「バズっているから」「みんな言っているから」私も言っていいって思って書き込む人がほとんど。つまり出る杭を叩く、集団いじめと何が違う?って感じ。
これがSNS終わってるなって思う理由。
SNSでバズる時って、最初は「すごーい」という前向きないいねや、FF中心のリポストが回るんだと思う。
それがそのうち、知り合いの知り合いを超えて広くおすすめに表示されてしまい、気の毒なことに意図せず多様な層にリーチしてしまって、誰かの気に触り、その誰かが容赦無くポスト主に暴言を吐く。
そもそも「こうすべき」という正しさに酔っている人があまりにも多い気がする。
これが正しいに違いない、私は迷惑かけないようにしてるのに。非常識だ。と重箱の隅をつつく人、SNSで他人に文句を言っている人にはこういうタイプの人が特に多い。
こういうSNSでの他人叩きは、他の国でもそうなのかといったら、日本特有の面もあるらしい。
私的には日本は「他人に迷惑をかけてはいけません」「集団の輪を乱してはいけません」ということを過剰にやりすぎている部分があると思う。
それが裏返しになって、○○すべきとか、こうあるべきとか、何かの規格から外れているように見える人を追い出したい人も多い気がしている。
それが正しいかどうかはその人次第なのに、正しさを決めつけようとしている。
だからSNSの他人の意見も、必要以上に突っ込みたくなってしまうんだろう。
自分はこう思う、あなたは私とは違う人間なのね、と思ってスルーすればいいのに、唯一の正解が自分だと(心のどこかで)思っているから突っ込みたくなる。
あと、SNSで荒れてるコメントを見ると「頑張ってないように人に見える人」にも厳しい世の中だと思ってる。
例えばさっきの専業主婦VSワーママ議論とかもそうだけど、専業主婦はずっとSNSで叩かれている。
専業主婦のことを頑張っていない、あるいはそこまでいかなくても「フルタイムより楽」「男性のバリバリ働いている人より楽」と思っているからだと思う。
そもそも専業主婦が頑張っていない、は偏見だとして、専業主婦は「いや私たちだって毎日ゆっくり過ごしているわけではない、休む暇なんてない」という反論は見かけるし確かにそうだと思うけど、私はこうも思う。
「じゃあ仮にゆるく過ごしていたとしたら」それはダメなのか?って思う。
なんでゆるく過ごしていたら叩かれないといけないの?
そんなの個人の生き方の自由じゃん。
専業主婦じゃなく、独身でもフリーターだって、パートの人だっている。
フルタイム疲れるから、稼ぎ少なくてもゆるめに生きてますっていう人は、どんなところにでも一定数いるし、学生だって、遊んでいたりゆとりを持って生活している人もいる。(それが悪いって言ってないよ)
こういった人たちを一律に叩くとしたら、結局ただのやっかみでしかないことがわかる。
何も法律に違反していないし、何が許されないの?と聞くと、言い分は色々だろうけど、扶養とか美味しい制度に入りやがって楽して許せない、みたいなことを言うのだと思う。
要は「あなただけずるい」ってことだよなって。
でも、専業主婦やってる人は、その人の責任でそうしてるんだから、その人の勝手じゃないですか。
もし羨ましいなら、そうしたいなら、自分もそうすればいい。
ずるいと思ったとしても、その人たちがあなたに対して何か悪いことをしたのか?自分が損しているような気がして、そのやり場のない気持ちの矛先を当事者に向けるのは間違っていると思う。
だけど言い換えたら、それほど余裕なくあくせく働いている人が増え、そんな悪態をついてしまうほど心が疲れている人が多いってことだと思う。
仕事も家事も結婚も育児も介護も何もかも両立しないといけないこの世の中、余暇などない生活に疲れ果てている人が多いんだよね。だから「楽しているように見える人」を叩きたくなるんだろうな。
SNSはこういう言い争いばかりだから見なければいい、そう思って積極的に見ないようにした時期はあった。
ただ、そういう争いが起きている事実は変わらない。
見なくても、今の実態がこうだという事実を知ると、がっかりして悲しくなるし、将来が不安になる。
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