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社交辞令と本気のあいだ

2020年4月14日

クリスマスにわざわざブログで書くほどのことではないのですが、人付き合いでは欠かせない「社交辞令」の受け取り方で最近モヤモヤすることがありました。

 

 

 

 

 

この時期でタイムリーだからちょうど思い出したのですが、小学生のころ、毎年お正月に父や母に届く年賀状を見るたびに「大人ってバカじゃないの?」といって両親に疑問を投げかけていました。

両親からなんという回答があったかは忘れましたが、聞いても腑に落ちるような答えではなかったのだと思います。

 

なんで大人がバカだと思ったかというと、プリントゴッコ(懐かしいですね)で作られた、どれもこれも同じような定型文が並んだ年賀状を見て、別に相手に言いたいことやメッセージが特にないならこんなもの送らなければいいのに、お金の無駄でしょ?変なの。っていう。

 

両親の年賀状は、手書きのメッセージは何もないものが半分以上だった。何かメッセージが書かれていたとしても「昨年はお世話になりました」「今年もよろしくお願いします」の定型的な文章が一言書き添えられている程度のものが大半。

 

大人になり、(当然ですが)「腑に落ちない」という気持ちはもうありません。

慣習。社交辞令。そういうもん。

私が子供に聞かれたらなんて答えるんだろうな。

 

 

 

ただ、10歳くらいのころはなんとなくスッキリしないものがやはりあった。

年賀状は手紙だから、「何もないなら、わざわざ送るのやめれば?」と子供ながらに感じた。無機質で寂しい年賀状。何が楽しいのかさっぱりわからないし、センスないし、くだらない…って。

 

 

 

大人になった今、そんなことを思っていた私も社交辞令なんて普通に言っているし、別にお世話になったと思ってなくても年賀状がきたら送り返している。

でも、私はどちらかというと本質的には「社交辞令」というものに抵抗を感じている部類の人間なのだろうと思う。

 

年賀状を書く面倒さというのもわかるし、人によっては年賀状をもらったら面倒だと思うだろうから、去年くれた人にだけ送る、くらいの気遣いはする年齢にはなったけど。

それでも、いまだに年賀状にはある程度の工夫はするようにしていて「この間、飲みに行ったときには久しぶりに楽しくお話できてよかったです。また、〇〇のお話も聞かせてくださいね。」とかなんとか書くようにしています。

いまだに、無機質な年賀状を見たら「別にくれなくていいよ、私も送ってないし」と思ってしまう気持ちは変わらない。

 

 

 

前置きが長かったですが。

はっきりと「このひと社交辞令言ってんなあ」とわかるようなときもあれば、社交辞令なのかそうでもないのか、はっきりしたことがわかりにくい微妙な感じ、というのは、大人になるにつれて増えてくるのかなと思います。

 

 社交辞令の意味をあらためて辞典でみると「つきあいをうまく進めるための儀礼的なほめ言葉やあいさつ。」とのことです。

 

社交辞令も大きく分けて2種類あると思っていて、ひとつめがいわゆる「お世辞」というか誉め言葉のたぐい。本来の意味はこっちなのかな、と思うのですが。

で、もうひとつが「本当にしようとは思っていないけど、言わないと気まずいからしたいふりをする」という、行動をにおわせるもの。

 

 

 

ひとつめを具体的に例示すると「きれいな方ですね」とか「それ素敵だね」「お仕事ができる方ですから」とか。これは私もよく言うことはあります。あまりにも現実とかけ離れてることは言えませんけど。

で、もうひとつのほうは「今度ごはん行きましょうね」「今度飲みに行きましょうね」など。相手との今後の付き合いに関することに言及されている内容で、「ほめる」とはまた性質が違うと思う。こっちのほうは、実は私自身はあまり使いません。

 

 

最近、同性のお酒好きな女の子との新しい出会いがあり、私もお酒が好きな人間なのでうれしくなり、「えっ?本当ですか?私も好きなんで、今度飲みに行きましょうよ!」って言いました。

第三者がこの会話を聞いていたら、もしかしたら「ああ、よくある社交辞令だな」って思うのかもしれませんが、これ、わたしは別に社交辞令で言ったつもりではなかったんですよね。

私の場合、違うシチュエーションで同じセリフを100人に言われても、100人全員に同じ返しはしないし、その人と行きたいと思ったから言った。(もちろん、相手から言われたら「そうですねー!」とは言いますが。)

 

 でも、あらためて考えてみたら、こういう会話になったときに本当に「じゃあいつにします?」ってなったことは少ない。

思い起こしてみれば「ああ、あの人とも、今度ほんとご飯行きましょうよ、って言ったな、あの人とも飲みに行きましょうよってメールで話したな、、あの人とも…」っていくつも思いつくけど、実現している例は少ない。 私がさっき「飲みに行きましょうよ!」と自分から言った例も含めて。

もちろん、私と同じように本当に行きたい気持ちはあったし嘘ではないという人も多いんでしょうが、すぐ日程調整を進めるほどの熱意はない、さほど優先度は高くなかったといったところでしょうか。

 

だから、社交辞令=まったく思ってすらいない とは限らない気がします。

 

 

 

ただし、恋愛においての社交辞令は、またちょっと違うのかもしれません。

 

例えば、去年知り合った仕事関係の人にごはんに誘われて行ったのですが、帰り際「次は〇〇を飲みに行きましょう」って言われた(別にもうこの人とは2人で行かなくていいかなと私は思っていて、ちょっと困ったなというふうな感じだったのですが)。

でも、私からも何もコメントしなかったけど、向こうからも特にそのあと具体的な誘いはなく、実はあれは単に「さようなら」の代わりだったのかなと思いました。

 

また別の人には「またごはんでも行きましょう」って言われてお別れしたあと、1往復お礼のやり取りが続いただけで、終わりになってしまいました。この人のほうが「また、ごはんでも行きましょう(機会があれば)」≒「さようなら」感がより強い気がします。

 

 はたまた別の友人男性との会話のなかで印象に残ったというか、覚えていることがあります。

「こないだ知り合った女性、まだ2回しか会ってないので仲がいいとは言えないけど、今度一緒に居酒屋巡りに行きませんか?って言われた。まあ、社交辞令だと思うんだけど。」といったんです。

それは社交辞令じゃないよ!!!女性からわざわざそういうこと言うのは社交辞令のわけなくないか?お前が誘わないから向こうが頑張って言ったんと違うんかい、と言いそうになったのですが。笑

私が社交辞令をあまり言わないタイプだから余計かもしれませんが、その人の言葉を聞いて「そんなに社交辞令に苦い思い出があるの?そんなに疑わしいの?」って思った記憶があります。

 

そのときはそう思ったけど、「どうせ社交辞令だから真に受けてるわけではありませんよ、自分は別に勘違いはしてないよ」とその人がやけに予防線を張っているような感じがしたのも、今なら少し共感できる気がします。

 

20代前半のときにデートしたりした人ではあまり多くなかった(そういう人がたまたま少なかった?)のですが、「また今度ごはん行きましょう」の言葉をただの社交辞令で口にする男性も多いということが、出会い探し的なことをするようになってから気が付いたからです。

本当に1ミリも思っていなかったかどうか、実際のところは本人にしかわからないのですが。もしかしたら、そのときは「もし相手がすごく乗り気なら行ってもいいけど」くらいには思っていたのかもしれません。

ただ、それは(相手の態度から推測などはできるけど)やはり推測にしかならず、考えてもわからないことで。

 

 

私の場合、恋愛がからんでいるときは、本当に思っていないことをあまり言いたくない(相手に悪いから変に期待を持たせないようにしたい)ので、さようならの代わりに「じゃあまたね、ありがとう」という言葉が言えたらいいなと思うのです。

もう会うことはないだろうと思っている人に「また行きましょうね」とか「またお誘いしますね」はわざわざ言わなくてもいいのでは、と。

 

 

額面通りに受け取るほうがバカなのかもしれないですが、それって何のために言うんだろう?

たぶん、まさに辞書に書いてある通り、「つきあいをうまく進めるための儀礼的なほめ言葉やあいさつ。」そのものであり、その場を気持ちよく終わらせるためのウソってことなんでしょうが。

優しいのか、ずるいのか、それともそういう返しがスマートだと思っているのか、ものの見方によると思います。

 

 

ここでこんなことを言っていると、読んでくれた人はバカ正直なやつだな、とか、応用がきかない人間だな、とか思う気はします。

 

 

でも、「社交辞令」におびえて心の中で予防線を張っている人は、前述の彼しかり、意外と私だけではないような気もしています。

「これも本気なわけないか」「とりあえず言っておいただけ?それとも本当?」っていう葛藤はよく見聞きする。

両者が「また誘ってもいいのかな」となんとなくは思ってるけど、社交辞令だったら恥ずかしいという壁を越えられず、先に進まないというケースもまれにあるのではないかなと。

 

素直に受け取って「違ったのか…」とショックを受けてしまったときは、

「本当に話すのも嫌だと思っている人にはそこまでは言えないもんな。人としてはあなたのことが嫌いじゃないよっていう意思表示かな」と思って自分を慰めることにしています。

 

ふつうにほめるだけ、リップサービスくらいなら、ビジネスでもプライベートでも円滑に会話を進め、ときには相手を傷つけないという意味で社交辞令は重要だと思ってます。

 

でも、やっぱり変に期待させてしまってがっかりさせるようなこと、本当に思ってもいないことは、なるべく人には言わないようにしたい。

と、社交辞令について少し考えてみたこの頃だった。

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