31歳のある日、突然仕事に行けなくなった話

2022年9月30日

私は31歳になったばかりのとき、突然仕事に行けなくなりました。

というか、それまで勢いでなんとか行っていたけど、その勢いが全くつかなくなったというのが一番近いのかもしれない。

スポンサーリンク

行けなくなるまでのこと

最近明らかに疲弊していたのはわかっていたけど、転職してまだ1年もたたないのに辞めてどうする、生きるためには仕事しないと仕方がないのだと、なんとか言い聞かせてやってきた。

1月の年末年始の休暇が終わった時、今までになく鬱々とした気持ちになっていた。

一言で言えば「仕事に行くのが嫌」ということになるのだろうけど、前の会社で感じていた「あー面倒くさい」というレベルのものではなかったし、それとは違っていた。

とにかく「仕事に行く」ことを避けられるなら、何でもいいから何か正当な理由がないものだろうかと思っていた。

けど、とにかく明日インフルエンザになるとかそういうことでも無い限り「休む」という選択肢は許されないので、「仕方なく諦めて行く」を選ぶ感じでなんとか毎日行ってた。

鬱々した気持ちだったが、暗い態度でいても仕方ない。努めて、できる限り普通に明るく振る舞っていた。

休み明けもかなりきついけど、やはり休み明け1日目よりは2日目のほうが行きやすい傾向がある。我慢して出勤してしまえば…と思い、なんとか頑張った。

その調子でなんとか繁忙期をやり過ごすまで持ちこたえられたらいい。そう思っていた。



私は、どうしても無理だと思ってしまう時のために「もし将来子どもができたら体調的に通い続けられないことを言い訳にして辞めてもいい。それまでは頑張ろう」と思っていた。

 

辞める理由なんて別になんでもいいのに、その時はそのくらいしか辞める時の言い訳は見つけられなかったので、それを励みにして頑張っていた。

もし「無期限で働かないといけない」と思っていたら、どうなっていたんだろう

もっと早くに行けなくなっていたかもしれない、と今なら思う。

行けなくなる直前のこと

行けなくなる前に、何か決定的な出来事が起きたわけではなかった

でも、引き金となった出来事にはいくつか心当たりがあった。

当時ちょうどコロナが始まった時期で、時差出勤やリモートワークを取り入れた企業が多かった。

何千人もの従業員がいるので、正直うちの会社はこのあたりの対応は早いのではないかと期待していた。多くの人が出入りする環境、実際私も勤務先ではたくさんお客さんと接する機会があったし。

それに毎日満員電車に揺られて1時間半の距離を通勤するし、自分が感染しても全くおかしくないと感じた。

私はこんな嫌いな仕事のためにコロナにかかって命を落とすかもしれないのか」という考えが浮かび「その覚悟をしてまで出勤すべきなのか?と思ってしまった。


最低だと思う人もいるかもしれないし、仕事をしている以上、どんな場所でもそれなりのリスクを背負うことになるし責任を持つべきだと私も普段は思っている。だから、ある意味この考え方は社会人失格なのもわかる。

だけどそう考えた途端「本当に行くのが嫌だ」と思ってしまい、急激に出勤したくない気持ちが募っていった。

もちろん、それまでも前述の通り会社には行きたくなかったけど、それとは少し違う次元で「私は何のために行かなきゃいけないのだろうか?」と思うようになったというか。


以前勤務していた会社で、緊急時に少し逃げにくい場所で執務を行う時間があり「ここで地震が起きたらお客さん全員の避難対応し、自分は最後になるから多分犠牲になるんだろうな。従業員として諦めるしかなかろう」とどこかで思いながら仕事していた。

そんなことは考えたくなかったけど、覚悟はしていた。

今の会社の今回のコロナの件も同じようなことのはずなのに、なぜか今回は猛烈に出社拒否したくなっていた。

もうひとつの理由?

会社に行けなくなる少し前から、一緒に働いている先輩から攻撃されることが多くなった。

先輩は決して悪い人ではない。ただ、主張が強い性格の方だったので、この方を苦手だと言っている社員もいた。

この先輩が厄介なのは、自分が「これがいい」と思っている方法を他人にも強要しがちなタイプで、本人は良かれと思ってやっているようだが、私の性格とは相性がよくなかった。

ある程度「正解」に近いものがあることなら、指摘されてもまだ「そうですね」と言って従えばいい。

でも、その先輩はとにかく仕事に熱くなんでもやりたいタイプで「そこまでやってたら体いくつあっても私は無理」と思うようなことを、私にもやるように推奨してくるので、苦手だった。

先輩がやるぶんには、自分は好きなだけそうしてくれたらいいと思う。意識が高くて立派だとは思ってたし。

でも私にも同じレベルでやれというのは、かなり辛いものがあった


私も、それをやりたくないと思うなら従わなければ良い話であり、前の会社の上司に対応していた時のように、反論したりすればいい。別にもう社会人デビューみたいな歳じゃないんだから。


ただ、それはできなかった。

私はこの会社においては圧倒的に新入りで相手はベテランだし、言い争っても時間ばかり過ぎるし、やらなくてはならない仕事に費やせる時間が減る

このタイプの人に反論しても頑として譲らない(どころか喧嘩になる)のはわかっている。それに、私はきつい言葉で罵倒されたら傷つくタイプなので、ダメージを受けないためにも反論は一切しなかった。



しかし、反論もしないし大人しかった私は、その人にいったん「こいつはだめだな」と思われたら、事あるごとに小姑のように指摘されるようになった。

その先輩の意向に従ったら面倒になりそうなことを独断でうまく進めようとしたら失敗し、素直に従ったら今度は上司に叱られるなど、板挟みになるケースも増えた。

これってどの職場でも起きる「新人あるある」だから、ある程度は仕方ないとも思った。でもとにかく、時が解決するだろうとは思えなかったし、「私一体何やってるんだろう」と思うことが増えて疲れた

私はもう何を言われても聞きたくなくなり、ノイローゼっぽくなっていた。

それでも原因という原因ははっきりしない

恐らく、このあたりのことが出勤拒否の症状になった直接の原因なのではないか?と、読んでくれた人は思うかもしれないし、私もそう考えていた。

でも、今振り返っても「このことだけが原因」というのはなかったと思う。


これ以外の外的要因もあったと思うし、それに自分の内的要因というか、過去からの認知の歪みや性格の特徴、劣等感などさまざまなことが複合して起きたことだと今は思っている。

メンタルの不調から仕事に行けなくなった人の話をネットで見ていると「発症した直前や最近の出来事が原因だと考えている人が多いと思うが、実は今までのいろんな出来事の積み重ねで発症し、その最後の出来事は決定打となっただけ」という見方を見つけて、自分の場合もそうかなとなんとなく腑に落ちた。

自分の場合、元々「仕事をバリバリやりたい」「自分の得意なことや好きなことを仕事にしたい」という欲求は割と強い(強かった)ほうで、新卒の時から働くことにワクワクしていた。

大学時代にバイトしていた保険会社での仕事はとても楽しく、学生でありながら契約社員にしてもらったこともあったし、働くって面白い…!と思っていた。

そんな私が今なぜか「働くこと」自体に消極的になっている。

できれば仕事せず生きていきたい、組織に所属するなんて自分には向いていない、いや、できない。できないっていうか無理、とすら思ってしまうようになった。

自分でも、ここまでになるとは思わなかった。

「今の会社に来ていきなりそうなった」というよりは、これまでの挫折経験やすべてのことを踏まえてこうなったというのがふさわしいと思う。

今回の原因と考えていた出来事は「決定的になった一撃」でしかなかったのかもしれない

行かなくなってしまった日

最初の1日はとにかく行けなくて、とりあえず「体調不良」といって電話をかけて休んだ。ある意味体の症状も出ているので、そういうことにした。

その翌日からは電話もできないような精神状態で、もしかして鬱ってこんな感じの状態なのかなとその時はぼんやり思っていた。でも、連絡しないといけないから上司にメールを送った。

それを数日間続けてしまい、さすがに「体調不良」と言い続けるわけにもいかず、3日目に正直に「精神的な理由」ということを課長にまたメールで連絡し、とりあえず心療内科を受診することにした。

つくづく思ったのだけどこういう時って「精神的な理由」ということは非常に言いにくいもので、それを言って休むくらいだったら無理して出勤してしまうという人も多い気がした

それを打ち明けて今後気まずいことになるくらいなら、我慢して行ったほうがかえって今後の心的負担が少ないのではないかと、私もそのとき思った。

今回言えたのは、正直もう辞めるという選択肢を視野に入れていたからというのもあるかもしれない。

「休職=もう辞める前のステップ」と私はどこかで思っていたけど、休職後に復職して頑張っている人も結構いるということを、休みだしてから知った。本当に凄い。



前に勤めていた会社では(今の会社に比べるとかなり小さなところだけど、それでも)2件休職されたケースを知っているので、そこまで休職って珍しいことでもないのかな、と自分に言い聞かせた。

そのうち1人は若い女性でまだ新入社員だった。その人は休職したまま辞めてしまったけど、もう1人は1年間うつ病で休職したあと、復職された。

復職されたほうの方は40代男性でお子さんも2人いた。大黒柱で働かざるをえなかったということもあるだろうし、長い年月勤めていて同僚からの信頼もあったから戻りやすかったのかもしれないと勝手に想像した。その方は、今もその会社で普通に働いておられる。

思うに、その会社で働いている歴が短ければ短いほど、復職する人のパーセンテージは低いと推測する。統計は見たことないけど。

結局、長く働いた人よりも、私みたいに「新しい職場でうまくやっていけなくて休職」(→辞める)のケースのほうが多そう。とか、どうでもいいことを分析していた。辞める言い訳にしたかったのかも。

心療内科に行く

話がずれたけど、私は心療内科へのハードルの高さを少し感じながらも、幸いにして近くに評判の良さそうな心療内科があったのですぐに行ってきた。

会社に明日から行けるかと言われたら難しい気がしていたし、診断も出なければ「とりあえず理由なく休み続ける」というのも気まずいと思ったので、上司を困らせることになる。

朝早くに受付し、順番が呼ばれたのはもう15時くらいだった。心療内科の医師は本当に大変だなあと思う。

診察では時間も限られているし、初めて会った医師に詳しく説明はできないので、要点をかいつまんで話した。

こういうとき一部の情報だけを言うと、説明の仕方によっては誤解につながるので、なるべく短い時間で自分の状況が正しく伝わりやすいように言い方には気をつけた

とにかく今の状況で行けなくなってしまったということ、原因としては「そもそも職場が自分より高いレベルの場所だと思っていた」こと、それに加えて「一緒に仕事している人が自分と正反対のタイプできつい」ことを話した。

医師は私の話しぶりを見て私の性格などもほぼ理解してくれたようで、ありがたいことに一を聞いて十を知るという感じ、なんとなく事の全貌を掴んでくれていた。

診断書を書くので少し休んでくださいということと、「できるなら部署を変えてもらったらどうか」と言われた。

そのほかにもコメントをいただいたのだが、この医師の話が雑談のようでありながら、かなり深かった。

診察された時に「どのような高校、大学を卒業したのか」ということを聞かれた。

私は受験勉強はできたほうなので、自分でいうのもなんだけど「かなり高学歴」と殆どの人に言われるような大学を出ているのだが、実力が伴っていないので正直学歴のことをすごくプレッシャーに感じていた

なので、どうせまた「頭いいんだね」とか言われるのだろうなと思いながら、高校名と大学名を答えた。



するとその医師は大したことはないね」と言った。

続けてこう言った。

「私は○○県の進学校に行っていて、正直、そこに行ってる人はだいたい東大を目指すのが普通だった。だから◯◯大(私の出身大学)だと落ちこぼれ気味の人が目指していたんだよね」と。

ちょっと驚いたけど、私は全く嫌な気はしなかった。こんなことを言われたのは初めてだった。

「私の高校くらいのところに行くと、1人くらい本当に天才的な人がいてね。もう天性の才能ともいえるようなもので、どんな努力をしても叶わないなということを思い知った。若くして大谷翔平に出会ってしまったって感じだね」と医師は言った。

私から言わせてもらうとあなたなんて、悪いけど世間一般よりほんの少しだけ頭がいいお姉ちゃんだよ。大した事ないし、別に普通だよ。一体何を目指しているの?」と。

自分は何を目指していたのか

私は向上心が高いことが自分の長所だと思っていたけれど、これがかえって自分を苦しめているのではないかと今更ながら気がついた。

進学校と言われる高校に行ったし、それなりの大学を卒業しているので、自分は何かある程度の地位につきたいという考えや、何か必ず社会に貢献することをしたいという願望が強かった

だから「有名な企業だったり、名の知れたところで活躍しなくてはならないのではないか」と変なプレッシャーも勝手に抱えていた。なので余計、今の会社では決して優秀とは言えない自分に劣等感を感じていた。

より高いところを目指したいと思って、レベルが高いことを求められるところに転職した。

でも本当は内心、会社説明会の時点で「自分には合わないかも、自分の行くところではないかもしれない」と思っていた。そう思いながらも選考を受けたら進み続けてしまい、内定をもらってしまった。

あわないかもと自覚しながらも、ここで頑張れたら自己肯定感が高まるのではないか、自分でもこういう会社でやっていけるという自信にもつながるのではないかと思い、運良く受かったことを良いことに、入社した。

研修でも瞬発力を求められたり、ただ仕事をやるだけでは駄目だとか、飛び込みでこれをやってこいとか、負担がかかるようなことを色々させられて、プレッシャーをかけられたような気がした。

今から思えばすべてが自分の性格には合っていなかったのかもしれない。

でも、自分はもっと「上を目指さないといけない」とずっと思っていた。

夫にも前から「正社員じゃなくてもいい」と言われていたけど、正社員じゃないと駄目だと、自分にはそういうキャリアで成功しなくてはならないという強迫観念に近い考え方を持っていた

上司との電話

診察が終わってから上司に電話した。

この上司がとても良い人で、私は会社の人と話しているにもかかわらず、途中から号泣してしまって言葉にならなかった

まず、出社しようとは思うがなかなか行けなくて申し訳ないと説明し、何か気になっている理由があるのかと聞かれた。情けないけど決定的にこの原因があって出社できないなどのはっきりした理由があるわけではないけど、メンタル的にきつくなってしまったことを説明した。

上司も、前述の先輩が私にあれこれ言っているのを日々見ているので何か察しているのか、「もしかして、誰かにこうしろ、ああしろと言われるとか、そういうのが原因ではないか」と聞かれた。

でも、そうです、とは言えなかったし、別にそう言いたいとも思わなかった。

そう言ってしまうとその先輩に対して申し訳ないからというのもあるけど、実際に私もその人が悪いと思っているわけではなくて、ただ合わないだけだった。

それに、私のほうにもっと深い原因があり、先輩から明らかなパワハラを受けているわけではないし、その人のせいにするつもりはまったくなかった。

「実は入社したときから、自分にはこの仕事が合わないのかなと思っていました」と話した。



上司はいやいや、という感じで笑っていた。

「あなたはどう思っているか知らないけど、私はあなたの仕事ぶりはとても高く評価していますよ。それは上の立場の人にも伝えていますし、自己評価が低いだけで、みんなそう思っているからね」 と言ってくれた。

上司は私のことを「自己評価が低い」と言ってくれたけど、前の職場で「私はできてない」と思ったことは一度もなかったので、実際には私の自己評価が低過ぎとまではいかない気がする。

でも、転職したばかりで荷物でしかない私に対して「何度も言うけど、あなたのことはかなり評価しています。もし明日も言ったほうがよかったら何回でも言うよ。」と言ってくれて、本当にありがたかった。

私がかなり泣いてしまって尋常でない受け答えしかできなかったので、やはり少しだけ休職させてもらうことになったけど、とにかく仕事のことをまだ考えられない。

「たとえ自分が落ちこぼれでも別にいい」と思えればいいのではないかと頭では分かっていても、なかなかそう思えなかった。

自分の身の丈にあった仕事を選べなかった。

これからのことも、どうしようかまだ迷っている。


これまでも、試練がきた時に躓きかけたことは何度もあったけど、無理やり持ち直し続けて生きてきた。けど、31歳にして初めて挫折という形になった気がする。




読んでくださってありがとうございます。よろしければこちらの記事もごらんください。

スポンサーリンク